出張で遅くなった父が十一時頃にようやく帰宅して、いつまでも洗面所でごそごそしている。トイレに入ろうとカーテンを引き寄せると、風呂場に滑り込むように父の裸の背中が見えた。夕刊も読まずに珍しい、と思うやいなや、ひどい臭気が鼻についた。失禁したのだ。
洗濯入れに無造作に投げ込まれたスーツの尻には濡れた後があり、トイレのマットも取りのぞかれていた。勢いよく水を落として、下着とマットを洗っているのだろうと想像すると、悲しくなった。 父は単身赴任の頃のさまざまな心わずらいがもととなって、潰瘍性大腸炎を病んだ。人工肛門になるかとも話していて、それを聞いた時にはさすがにヒヤリと怖くなったが、どうやら父は、この病気と自分なりに付き合っている。おととしに入院した際、ぼくと母と三人でおむつを買って、それを恥じているようだったが、父は生来の几帳面な性質もあって、トイレの床には病状日記が立てかけており、そこに排泄のたび細かく記録をしていたようだ。 そんな父の懸命さ、またその原因の一端がぼくにもあるとの引け目から、さすがに露骨に顔は歪められない。臭気が鼻についた瞬間、「ああ」と言葉にならぬ嘆息が出て、そのままトイレで用を足した。生活するとはこうしたことだ。人とともに暮らしてゆくとはこうしたことだ。こう思うことが出来た時、ぼくは少し、大人になれた。 八十になる祖父母も、その老いらくの暮らしは孫のぼくが見てあげられたなら・・・・・・と、感傷的な気分のままに思うのだが、そうして思う気持ちだけでも、と思っている。
by apatheia2004
| 2006-05-24 23:08
| 日記・雑記
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