嬉しいことは何度でも、しつこいばかりに繰り返す。同じひとつことでも、心から笑ったことならば、話すたびにその時の喜びがよみがえるようで、喜びが新たになる。何度でもそしゃくして味わっていたい。
今朝、友達と話した。だいたいぼくは普段から自分の鈍才ぶり非才ぶりを自覚しているものだけれど、口で話す時ほどにそのことを痛感させられることはない。なものだから、実に当意即妙に、その時その時にふさわしい言葉を瞬時に的確に口に出来る友達が羨ましい。 ぼくの話し言葉は、あたかも原稿に用意した書き言葉のように、時に堅苦しくしゃちこばり、柔軟でない。要するにネタなのだが、構えて差し出された話題ほど退屈なものはないものだ。長いセンテンスですらすらと話すそのそばから、時々ちょっと虚しくなる。が、上手く言ってのけたな、と満足されることもあって、今日の話がそうだった。 ある友人に夢中のあまり近づきすぎて、痛い目を見、はじめてその人との距離をはかることができ、いまでは付き合い方もわかるようになった云々のことを、上手くまとめて言いえたな、と少し満足していたところが、返す言葉で「振られただけじゃない」ようのことをずばりとポンと言い放たれ、思わず椅子から落ちそうになった。 苦笑、苦笑、苦笑。もう笑うしかなかったぼくは、要するにいいかっこうしいであるのだなあ、と感じないではいられなかった。そう言われちゃあ、身もふたもない。でも、ちゃんと核心を突いているから、言葉もない。 こんなに言われて喜んでいるおとなしさが、ぼくの良いところでもあるのだろうけど、実際、話していると、ぼんやり者のぼくにはとうてい気づかれないでいることを、気づかせてもらえることがいくつもある。楽しいなあ。
by apatheia2004
| 2006-05-20 19:36
| 日記・雑記
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